2011年04月21日
まっくろおでん・考
須坂市・臥竜公園で食べた「まっくろおでん」のことが頭から離れない。
次のような仮説を立てた。
① まっくろおでんのルーツは、群馬のこんにゃく煮である
② こんにゃく煮は、明治時代、製糸業とともに群馬から須坂にもたらされた
③ 臥竜公園では、竹串にさしたこんにゃくを醤油味で煮て、売り出した
④ こんにゃく煮の煮汁をベースとして、おでんの具材を加えた「まっくろおでん」が開発された
⑤ たぶん、コンビニおでんのモデルを真似たものと思われる
そこで、改めて、googleと、
① 臥竜公園のおでんは、名物であり、
② 「黒いおでん」、「黒っぽいおでん」、「真っ黒おでん」など、呼び名ははさまざま
③ 須坂市長のブログには、『B級ぐるめの「黒いおでん」と「団子」もおすすめ』とある
臥竜公園のおでんと団子もB級グルメとしてPRしていこうと考えています。
特に"黒い"おでんはおすすめです。
黒いおでんは須坂市民は見慣れているので不思議と感じませんが、
市外の方には驚きで、「黒いおでん」という歌まであります。
売れ残って黒くなったと誤解をする方がいますが、
しょっぱくしないで味付けをするのに工夫をしています。
まだ、確たる名称がないということがわかった。
この「まっくろおでん」の仮説の検証は、またの機会に譲るとして、
ネーミングだけは、名物らしいものにしたい。
泉谷しげるふうに、「黒いおでん」とするか、
地名ブランドとして、「須坂おでん」とするか、
醤油味であるから、「しょうゆおでん」とするか。
僕は、「須坂おでん」を推したい。
須坂市長、「須坂おでん」の名称を、地域ブランドとして、売り出したら、どうでしょう。
ゆくゆくは、全国ご当地おでんサミットを、須坂市で開催してください。
それまでに、仮説を検証しておきます。
全国各地のご当地おでんの数々
・網走おでん
・青森生姜味噌おでん
・小田原おでん
・静岡おでん
・焼津おでん
・富山おでん
・姫路おでん
・松江おでん
・長崎おでん
等々
参考:須坂市オフィシャルWEBサイトより
明治44年(1911)4月21日の信濃毎日新聞は、「花の下で花の如き、工女の遊山」とい
う見出しで、東行社の運動会を大きく報じています。
須坂小学校の校庭に、東行社とそこに所属する16の製糸工場の工女など3千500人が集
まり、優良工男女の表彰式のあと、音楽隊の演奏につれ臥竜山をめざして町の中を練
り歩くという運動会でした。
山の上には模擬店が20以上もならび、歌って踊っての園遊会。この盛大なようすを見
ようと見物人も集まり、工女にとって実に楽しいひと時でありました。
臥竜公園は、大正15年林学博士本多静六の設計により作られました。
昭和6年に行われた竜ケ池の築造工事は世界恐慌による失業者の対策事業として行わ
れました。
次のような仮説を立てた。
① まっくろおでんのルーツは、群馬のこんにゃく煮である
② こんにゃく煮は、明治時代、製糸業とともに群馬から須坂にもたらされた
③ 臥竜公園では、竹串にさしたこんにゃくを醤油味で煮て、売り出した
④ こんにゃく煮の煮汁をベースとして、おでんの具材を加えた「まっくろおでん」が開発された
⑤ たぶん、コンビニおでんのモデルを真似たものと思われる
そこで、改めて、googleと、
① 臥竜公園のおでんは、名物であり、
② 「黒いおでん」、「黒っぽいおでん」、「真っ黒おでん」など、呼び名ははさまざま
③ 須坂市長のブログには、『B級ぐるめの「黒いおでん」と「団子」もおすすめ』とある
臥竜公園のおでんと団子もB級グルメとしてPRしていこうと考えています。
特に"黒い"おでんはおすすめです。
黒いおでんは須坂市民は見慣れているので不思議と感じませんが、
市外の方には驚きで、「黒いおでん」という歌まであります。
売れ残って黒くなったと誤解をする方がいますが、
しょっぱくしないで味付けをするのに工夫をしています。
まだ、確たる名称がないということがわかった。
この「まっくろおでん」の仮説の検証は、またの機会に譲るとして、
ネーミングだけは、名物らしいものにしたい。
泉谷しげるふうに、「黒いおでん」とするか、
地名ブランドとして、「須坂おでん」とするか、
醤油味であるから、「しょうゆおでん」とするか。
僕は、「須坂おでん」を推したい。
須坂市長、「須坂おでん」の名称を、地域ブランドとして、売り出したら、どうでしょう。
ゆくゆくは、全国ご当地おでんサミットを、須坂市で開催してください。
それまでに、仮説を検証しておきます。
全国各地のご当地おでんの数々
・網走おでん
・青森生姜味噌おでん
・小田原おでん
・静岡おでん
・焼津おでん
・富山おでん
・姫路おでん
・松江おでん
・長崎おでん
等々
参考:須坂市オフィシャルWEBサイトより
明治44年(1911)4月21日の信濃毎日新聞は、「花の下で花の如き、工女の遊山」とい
う見出しで、東行社の運動会を大きく報じています。
須坂小学校の校庭に、東行社とそこに所属する16の製糸工場の工女など3千500人が集
まり、優良工男女の表彰式のあと、音楽隊の演奏につれ臥竜山をめざして町の中を練
り歩くという運動会でした。
山の上には模擬店が20以上もならび、歌って踊っての園遊会。この盛大なようすを見
ようと見物人も集まり、工女にとって実に楽しいひと時でありました。
臥竜公園は、大正15年林学博士本多静六の設計により作られました。
昭和6年に行われた竜ケ池の築造工事は世界恐慌による失業者の対策事業として行わ
れました。
Posted by gootara39 at 10:54│Comments(2)
この記事へのコメント
詳細で論理的な分析が大変参考になりました。ありがとうございました。「人生五十年、以後はオマケ 人生五十年というのは正しい。それ以後はオマケと考えて感謝の日々を送る」も、参考になりました。ありがとうございました。
Posted by 三木正夫 at 2014年09月13日 06:37
三木さま。
過分なお言葉をいただき、恐縮です。
続編に着手できないまま、時が流れてしまいました。
来春、花見の季節に臥龍公園を訪ね、真っ黒おでんを頬張りながら、構想を暖めているかもしれません。
過分なお言葉をいただき、恐縮です。
続編に着手できないまま、時が流れてしまいました。
来春、花見の季節に臥龍公園を訪ね、真っ黒おでんを頬張りながら、構想を暖めているかもしれません。
Posted by gootara39 at 2014年11月24日 21:33