2011年11月01日
プレイバック、神無月。
10月は、誕生月でもあり、一年のうちでも好きな月である。
この10月は、いつもより1.5倍は長いような感じがし、1.8倍くらい濃密だったような気がする。
20歳前半に、マッキントッシュに憧れ、50歳になって、その憧れを掌中にし、存分に恩恵を蒙っているさなかに、スティーブ・ジョブズの訃報をNHKのテロップで眼にした。
あの画面は、その次の瞬間から切り替わったappleの画面とともに、いまも、そしてこれからも眼に焼きついて離れないだろう。
ジョブズの製品をリアルタイムで使い続けてきたことが、僕らの世代の幸運であり、彼の功績。
僕の長い10月は、10月5日から、始まったようなものだ。
クロニクル風に、去り行きし神無月を綴る。

20111008「ハンガリーワイン&音楽の夕べ」

ハンガリーワインは、一言でいうと、甘美である。トカイワインは、澄んだ金色の色の甘美な世界に誘う。一転して、赤には誠実さを感じる。清澄でありながら、スパイシーな余韻が残る。
今宵は甘美な余韻に軍配があがる。

20111010「和のゆらぎ」

須坂クラシック美術館で、アンティーク着物の大虫干し会に出くわした。秋とはいえ、20℃を越えるような陽気は、着物の虫干しには最良の日和だ。

美術館は生糸で財を成した須坂の豪商の古民家である。横浜市在住の日本画家岡信孝氏により寄贈を受けた古民芸コレクション約2000点を展示している。今日は、そのコレクションであるアンティーク着物の虫干しというわけだ。
古民家の座敷を秋の風が流れ、着物がゆらぐ様がなんとも大正浪漫である。




和のゆらぎに「秋風」をつかまえた。
20111009「善光寺界隈、彷徨」

少し歩くと、汗ばむような陽気となった。風がほどよい爽やかさを運んでくる。気がつけば、空には雲一つない。
善光寺の喧噪から離れて、朝早い、東山魁夷館は空いている、静かだ。常設展示は「巡りゆく日本の山河」。年間パスポートがお得で、便利。
好きな絵があった。
「夕静寂」。幾重のも重ねられた青い深山に、一筋、白く滝が流れる。スケッチ、下図、本制作品の三点が並んで、制作過程が伺われる。スケッチには滝はなく、画伯の創作であることがわかる。

善光寺本堂は、大きなマスクをしていた。大型のクレーンも入っていて、環境客には気の毒だが、珍しい光景ではある。

善光寺界隈のこれまで通ったことのない路地裏を巡り、東山魁夷館に戻る。
ささやかな連休の愉しみ、それは彷徨。

20111013「長野酒メッセ2011」

長野酒メッセは年々、盛大になっている。長野県の酒蔵が東西南北から70蔵以上も一堂に会して、自慢の酒を披露するのだから、この盛況は当然のことかもしれない。
長野県が原産地呼称制度を始めてから、確実に長野の酒は質が上がっている。



長野の酒、ルネサンスだ!
20111014「秋の夜長は長講一席」

神無月の寿限無寄席は、柳家一琴師匠「柳田格之進」。
優に一時間を越えるたっぷりの人情噺。なまで一度は聴きたかった噺。毎回、笑いに包まれる居酒屋寿限無大広間に張り詰める空気。
武士の娘の健気さにもらい泣き。落語で涙を流したのは初めてかもしれない。
落語の奥深さを知る。

後半へつづく
この10月は、いつもより1.5倍は長いような感じがし、1.8倍くらい濃密だったような気がする。
20歳前半に、マッキントッシュに憧れ、50歳になって、その憧れを掌中にし、存分に恩恵を蒙っているさなかに、スティーブ・ジョブズの訃報をNHKのテロップで眼にした。
あの画面は、その次の瞬間から切り替わったappleの画面とともに、いまも、そしてこれからも眼に焼きついて離れないだろう。
ジョブズの製品をリアルタイムで使い続けてきたことが、僕らの世代の幸運であり、彼の功績。
僕の長い10月は、10月5日から、始まったようなものだ。
クロニクル風に、去り行きし神無月を綴る。

20111008「ハンガリーワイン&音楽の夕べ」

ハンガリーワインは、一言でいうと、甘美である。トカイワインは、澄んだ金色の色の甘美な世界に誘う。一転して、赤には誠実さを感じる。清澄でありながら、スパイシーな余韻が残る。
今宵は甘美な余韻に軍配があがる。

20111010「和のゆらぎ」

須坂クラシック美術館で、アンティーク着物の大虫干し会に出くわした。秋とはいえ、20℃を越えるような陽気は、着物の虫干しには最良の日和だ。

美術館は生糸で財を成した須坂の豪商の古民家である。横浜市在住の日本画家岡信孝氏により寄贈を受けた古民芸コレクション約2000点を展示している。今日は、そのコレクションであるアンティーク着物の虫干しというわけだ。
古民家の座敷を秋の風が流れ、着物がゆらぐ様がなんとも大正浪漫である。




和のゆらぎに「秋風」をつかまえた。
20111009「善光寺界隈、彷徨」

少し歩くと、汗ばむような陽気となった。風がほどよい爽やかさを運んでくる。気がつけば、空には雲一つない。
善光寺の喧噪から離れて、朝早い、東山魁夷館は空いている、静かだ。常設展示は「巡りゆく日本の山河」。年間パスポートがお得で、便利。
好きな絵があった。
「夕静寂」。幾重のも重ねられた青い深山に、一筋、白く滝が流れる。スケッチ、下図、本制作品の三点が並んで、制作過程が伺われる。スケッチには滝はなく、画伯の創作であることがわかる。

善光寺本堂は、大きなマスクをしていた。大型のクレーンも入っていて、環境客には気の毒だが、珍しい光景ではある。

善光寺界隈のこれまで通ったことのない路地裏を巡り、東山魁夷館に戻る。
ささやかな連休の愉しみ、それは彷徨。

20111013「長野酒メッセ2011」

長野酒メッセは年々、盛大になっている。長野県の酒蔵が東西南北から70蔵以上も一堂に会して、自慢の酒を披露するのだから、この盛況は当然のことかもしれない。
長野県が原産地呼称制度を始めてから、確実に長野の酒は質が上がっている。



長野の酒、ルネサンスだ!
20111014「秋の夜長は長講一席」
神無月の寿限無寄席は、柳家一琴師匠「柳田格之進」。
優に一時間を越えるたっぷりの人情噺。なまで一度は聴きたかった噺。毎回、笑いに包まれる居酒屋寿限無大広間に張り詰める空気。
武士の娘の健気さにもらい泣き。落語で涙を流したのは初めてかもしれない。
落語の奥深さを知る。
後半へつづく
2011年09月30日
プレイバック、長月。
朝陽は、空の淵を淡い光で朧にし、天空に向かって青の深みが増していく。

一片の曇りもない完全無欠な青空が広がっている。
この青空を背景にすると、すべてが秋の風景で切り出される。
飯綱山に一筋の雲あり。

花鳥風月で振り返る、長月の秋。
花
鶏の頭に蛙

鳥
日没に飛び立つ一群の鳥

風
残暑厳しき秋祭り、一陣の風

月
中秋の赤い月、やや欠けたる

そして、秋の陽は釣瓶落としに、長い夜が来る。

一片の曇りもない完全無欠な青空が広がっている。
この青空を背景にすると、すべてが秋の風景で切り出される。
飯綱山に一筋の雲あり。
花鳥風月で振り返る、長月の秋。
花
鶏の頭に蛙
鳥
日没に飛び立つ一群の鳥
風
残暑厳しき秋祭り、一陣の風
月
中秋の赤い月、やや欠けたる
そして、秋の陽は釣瓶落としに、長い夜が来る。
2011年09月15日
赤い月
早朝、昇る朝陽と、西に浮かぶ残月をみた。
朝陽は直視できるほどに深い朱色を湛え、残月は、淡い空のなかに月の形をした雲のようだった。
黄昏と夜とが重なる頃、その境界線のあたりに昇る赤い月をみた。

直視できないほどの灼熱した光を放射して沈んだ夕陽は、その残光を月の中にとどめているようだった。

中秋から二晩が過ぎ、わずかに欠けた満月もいいものだ。
朝陽は直視できるほどに深い朱色を湛え、残月は、淡い空のなかに月の形をした雲のようだった。
黄昏と夜とが重なる頃、その境界線のあたりに昇る赤い月をみた。
直視できないほどの灼熱した光を放射して沈んだ夕陽は、その残光を月の中にとどめているようだった。
中秋から二晩が過ぎ、わずかに欠けた満月もいいものだ。
2011年08月23日
発見、小さな秋
戸倉駅に着く頃にはすっかり雨はあがり、雲間に青い空が見えた。

雲はうろこ状に連なり、秋の雲である。

公園の桜の木は黄色くなった葉っぱを落とし始めた。

スーパーのお酒の陳列棚にも秋を発見。
「秋楽」旨味たっぷり。限定醸造である。ほかに「秋味」も。
よくこのタイミングで並ぶものだなあ、と感心して、「秋楽」。

麦芽を焙煎した深い味わいがいい。
これからは熱燗で一杯の、間隙をついた小さな秋である。
雲はうろこ状に連なり、秋の雲である。
公園の桜の木は黄色くなった葉っぱを落とし始めた。
スーパーのお酒の陳列棚にも秋を発見。
「秋楽」旨味たっぷり。限定醸造である。ほかに「秋味」も。
よくこのタイミングで並ぶものだなあ、と感心して、「秋楽」。
麦芽を焙煎した深い味わいがいい。
これからは熱燗で一杯の、間隙をついた小さな秋である。